買取人気が衰えない輸入車「ランボルギーニ」の歴史

買取人気が衰えない輸入車「ランボルギーニ」の歴史

1970年代のスーパーカーブームが巻き起こりましたが、特に人気を博したのが「ランボルギーニ」です。当時の少年たちを釘付けにし、今でも輸入車買取市場で人気の高いランボルギーニですが、
その歴史の始まりは
フェラーリへの対抗心からでした。
今回は意外と知らないランボルギーニの歴史を紹介します。


【ランボルギーニの歴史】 フェルッチオ・ランボルギーニ

イタリアのある裕福な農家に、後のランボルギーニ設立者であるフェルッチオ・ランボルギーニ
が生まれました。第二次世界大戦直後にフェルッチオはトラクター工場を
設立。

それを皮切りにさまざまなビジネスを成功させ、1960年初頭にはかなりの財を築きあげていました。

彼は成功の証であるフェラーリのオーナーとなったのですが、クラッチに欠陥があり、故障してしまったのでフェラーリ社に部品を注文したところ
フェルッチオが運営している工場で製造されているトラクターのパーツ10倍の値段で送られてきました。

激怒したフェルッチオはフェラーリにクレームを入れたのですが、
相手にされなかったというエピソードが原因となり、
フェルッチオはフェラーリに強い対抗心を抱き始めます。

そして「フェラーリを超える車を作る」と考え始めるようになっていきました。
ランボルギーニの歴史はここから始まったのです。


【ランボルギーニの歴史】 プロジェクトの始まり

1962年の終わりからフェルッチオはこの事業をスタートさせ、翌年5月には
アウトモービリ・ランボルギーニ

設立します。公式発表の予定日まで数ヶ月程度しか猶予がなかったので、急ピッチで作り上げるしかなかったのですが、
当初の予定通り、1963年11月にトリノ・オートショーランボルギーニ社はランボルギーニ350GTV
を発表します。

短い期間にもかかわらず、独創的かつ大胆なデザインで、こだわりぬいたV型12気筒のエンジンを搭載した完成度の高い車を作り上げた
フェルッチオに他メーカーは脅威を感じたと言います。


【ランボルギーニの歴史】 暴れ牛

ランボルギーニのエンブレムとして金色の猛牛が使われています。この「暴れ牛」がエンブレムに採用された由来には諸説あるのですが、その説の1つに
フェラーリとの確執が原因だというものがあります。

フェラーリの創設者、エンツォ・フェラーリとフェルッチオは友好関係を築いていたようですが、それはランボルギーニが世間に認められたころの話です。

ランボルギーニ創設当初、フェルッチオはフェラーリに対抗心を燃やしていたので、フェラーリのエンブレム

「跳ね馬」へのアンチテーゼとして「暴れ牛」を採用したのではないかと言われています。

 


【ランボルギーニの歴史】 少年たちの憧れ

経営不振から、1971年にスイス人投資家へランボルギーニの経営権は譲渡されました。その後、ランボルギーニBMWから委託されていたM1の生産の遅れから契約を破棄され、1978年に倒産
経営者が転々と変わっていき、現在はフォルクスワーゲングループに属し、アウディの傘下に入っています。

経営が長い間安定しないイメージが強かったランボルギーニですが、スーパーカーブームの時に少年だった方たちが、
当時抱いた憧れを大人になった今手に入れようとしています。

そのため、ランボルギーニは輸入車買取市場において未だに人気が高いです。
コレクターも多く存在しているので、買取価格も依然高いままとなっています。

価格の問題から簡単に購入はできませんが、憧れもひときわ強いので、いつかはランボルギーニのオーナーになってみたいものですね。